バッハ日記 3

2016年1月某日

昨日はそういうわけで金属弦を張って「6番」を練習した。わずか1本でも金属弦は張力が強いいうことが肌身に感じられる。他の弦の鳴り方が明らかにくすむ。ただし、弦の表面のつるつるした感じはポジション移動には大変楽だ。裸のガット弦は、移動前に指の圧力を瞬時に抜き到達と同時に素早く押さえると言うポジション移動の大原則を正確に守らないと音程がすぐ怪しくなるし、リズムの乱れを生む。その点金属弦は素早くもたつかずスライド出来るのでコワくない。

が、金属弦は楽器を窒息させる。その事は以前自分のチェロにピラストロのオリーヴを下の3本に使ったいた時にも感じたことだ。オーケストラでまだ働いたときだったが、ガット弦にすると楽器が肩の荷を降ろして息づく感じがよく解った。2004年にバッハを録音した時はオリーヴを使っていた。

現代の金属弦の強い張力はストラディヴァリウスが考案し完成させたた楽器には強すぎることは間違いない。ガット弦の柔らかさと弱い張力は楽器構造の上ではベター、あるいはベストに違いない。しかし楽器は道具である。Instrumentなのである。その状態を維持したまま現代の音楽まで賄うことは出来ない。作曲家の要求が楽器の構造を超えてしまった、ということな訳だ。

例えば、早熟な子だと今では小学生でもチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトを弾けたりするが、作品が発表された当時は名手達から演奏不可能とさんざんにいわれていた。まあこういう逸話はいつも「眉につば」をつけて聞かねばならないとしても、当時まだガット弦を張って弾かれていたヴァイオリンで演奏するには過度なまでに弦に圧力を加えなければならない重音の連続など確かにかなりな困難を伴っただろうことは想像に難くない。18世紀中頃に完璧なまでに進化し、その後進歩を止めてしまったヴァイオリン属が時代の変化になかなか対応出来なくなってしまったということの証ともいえる。

5弦チェロの話に戻すと、5弦であるということがこれほどまでに様々な変化を生むとは考えていなかった。

第1の問題は4弦で培われた4弦の指の記憶の問題である。わずか1本増えた弦を左で押さえる弦がどこにあるか迷うのである。自分の指はわずか4本の弦を峻別することを覚えていただけで、もう1本弦が増えただけでたちまち、どの弦がどこにあるのかうろたえてしまうという現実を知らされることになった。特に何本か弦をまたいで移動するときがなかなか難しい。

第2はそれぞれの弦の幅がわずかに狭くなったことも重要なテクニック上の課題である。一般にパロックチェロは指板の幅がモダンよりも少し広いが、5弦は当然の事だがもう少し広めである。しかしそれでも5本の弦があるので弦の一番低い音ととなりの弦を開放(例えばGisとD)のようなとき、開放弦を触らないように指をきちんと立てなくてはならない。

さらには、弓の位置。第1弦のEは4弦チェロよりもう少し腕を高めに構えなければならない。第2弦になるAは4弦チェロより少し低い位置のような気がするが、それよりもE線からA線に弓がおりてくる時に真ん中に出現した駒の上で一本だけ突出したD線に引っ掛け易い。弓を見ながら弾けば上手く行くがあまりそれはしたくない。

お終いは、C線からE線までの弦の太さの落差が大きい事がある。E線は直径が1ミリ以下である。C線はどのくらいあるのか知らないが、2ミリ近くあるような気がする。細いE線を弾く時はヴァイオリニストの指のように繊細に優しく弾いてあげないと良い音が出ない。ついうっかりC線並にやるといい結果が出ない。とにかくチェロ弾きにとっては別世界の細さなので押さえ方に最新の注意が必用だ。

 

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